この八十八大師は、「弘法大師(こうぼうだいし」が四国の修行地を一巡して定めたと伝えられる、四国八十八番霊場巡り(四国遍路)が盛んに行われるようになったころ、遠隔地で行けない地方で「新・四国八十八番霊場巡り」と称してその模倣が各地で造られました。
三ツ峠山の八十八大師像も文久年代(一八六〇年)に祀られたと伝えられています。
この大師像を奉納した信者の地区名と人数は判明しています。奉納者は郡内地域に拡がっていて、善応空胎惟阿上人を始めとする神鈴峯の歴代上人による、布教活動の影響が大きかったと思われます。