達磨石(だるまいし) |
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三ツ峠山登山道の登り口にわずかな平坦地が広がっています。ここには、地名の由来となった大日如来(だいにちににょらい)を示す梵字(ぼんじ)「アーク」が刻まれた石尊(せきそん)が建てられています。これは形が「だるま」に似ていることから達磨石と呼ばれています。 この達磨石は、高さ183p、幅178p、奥行150pの巨大な自然石で、善応空胎惟阿上人の後継者である三世信盈安西栄阿和尚(※)(しんえいあんざいあおしょう)によって造立されたと伝えられています。また、円形の形どりがされた梵字と花か弁べんが書かれた掛軸が存在し達磨石と同じ構図となっています。達磨石だるまいしに出家し三ツ峠山で修行。安政5年(1858年)に死去。目度内に埋葬された。
この掛軸は善応空胎惟阿上人によって描かれた物でこの軸が原型となったと推察されています。 |
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甲斐神鈴峯之図 達磨石(御丈石) |
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なお、天保元年頃(一八三一年)に作成されたと推定される木版画、「甲斐神鈴峯かいみすずみね之図のず」に「御丈石ごじういし」と記され、石の形状や位置からして、達磨石はこの「御丈石」と同一のものと思われます。つまり、達磨石はもともとこの位置にあり信仰の対象となっていた「御丈石」に梵字と花弁が刻み込まれたものと考えられます。
※三世信盈安西栄阿和尚:天保5年(1834年)生まれ、出生地不明。嘉永5年(1852年)に出家し三ツ峠山で修行。安政5年(1858年)に死去。目度内に埋葬された。 |
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